今日の毎日新聞の「戦後七〇年を思う」シリーズ(5)に「九条には実利的意義」と題して、東大教授加藤陽子氏が次に掲げる論説を掲載している。
戦後七〇年が五〇年、六〇年と異なるのは「3.11」を経験したことにあります。原発事故は人間と核の関係を再考させました。米国の世論調査で原爆投下を正当化する回答が若年層で五割を切っています。国民に求められているのは、先の大戦での加害を刻む一方、受忍論では済まされない戦争の惨禍を正確に跡づけることでしょう。
最近「リットン報告書」(英国人リットンを長とする国際連盟調査団による満州事変報告書)を再読し、日本に欠けていたのは実利主義の観点だったと思い至りました。日本は中国政治の不統一と混乱を言い立てていました。しかし報告書は、平和を維持し中国の統一と近代化を進める道こそが日本の経済を最も潤すはずだと説いていたのです。
外交評論家の清沢洌(きよし)も同じことを論じていました。満州(現中国東北部)で南満州鉄道の上げる利益が五千万円だとすれば、日中貿易全体の利益は十億円にも上る。中国との妥協こそが必要だ、との主張でした。
日中戦争勃発時の外務省東亜局長、石射猪太郎も、回想録の中でこう語っています。
「外交ほど実利主義なものがあるであろうか。国際間に処して、少しでも多くのプラスを取り込み、できるだけマイナスを背負い込まないようにする」。今こそ、味わうべき提言でしょう。憲法九条を巡っては、最近、次のような批判が多くなってなされているようです。日本人が平和憲法を守ってこられたのは、在日米軍の存在があったからであり、また米軍の核の傘のおかげだ、といった論調です。
ただ九条には、国内的な存在意義がある点を忘れるべきではありません。九条の存在によって、戦後日本の国家と社会は、戦前のような軍部と言う組織を抱え込まずにきました。戦前の軍部がなぜあれだけの力を持っていたかと言えば、国の安全と生命を守ることを大義名分とした組織だったからです。実際には大義の名のもとに国家が国民を存亡の危機に陥れる事態にまで立ち至りました。軍は情報の統制、金融・資源データーの秘匿、国民の監視などを、安全に名を借りて行ったのです。このような組織の出現を許さない、その反省の上に現在の九条があるのだと思います。
これを読んで感じたことを書き留める。
① 日中戦争を始めた当時の軍部、特に満州駐在の関東軍は、経済的利益の獲得もさることながら、それにも増して征服欲にとらわれていて、世界の潮流が既に帝国主義の時代から脱却していたことを認識していなかった。これが日本を不幸に陥れた最大の要因であったのではないか。
② 外国の事はわからないが、軍部はもとより、わが国では本来国民のためにあるべき行政組織も、国民へのサービスと言う目的より、組織の存立拡大が優先される傾向にある。いわゆる「縦割り行政」の弊害は未だに解消されていない。
③ 近代の戦争には、その客観的必要性、すなわち世界各国の賛同を得られる大義名分を必要とされる。そこで本来の意図を覆うもっともらしい大義名分が掲げられる。
アメリカが中東の紛争に介入するときの「人道主義」などがそれであるが、自国の兵士に犠牲を強いる軍事行動をするには、その犠牲を上回る国益が隠されているはずである。われわれはその大義名分に惑わされることなく、事の本質を見極めることに心がけねばなるまい。
(平成二十七年八月十六日)
ramtha / 2016年1月20日