首都圏から飯塚市に戻ってきて四半世紀になる。すっかり忘れていたが今日は防災の日だ。大正十二年九月一日関東大地震で東京は廃墟と化した。
私は昭和四十六年上京し、東京都目黒区の借家に転居したが、関東大震災から約五十年になり、再び地震が起こる危険が予測されるとして、区役所から「非常持ち出し袋」を二つ配布された。
飯塚市では地震が少なく、地震のことなど考えてもいなかったのでいささか驚いた。しかし非常持ち出し袋を与えられたからには、これに入れるものを用意せずばなるまい。まずは当座の食料として乾パン、缶詰、水筒、照明用の懐中電灯やタオル、包帯等など、考えられるものを買い求めて収納した。
しかし何事もなく月日が経過すると、食料品は入れ替えなければならない。一度は入れ替えをしたが、そのうちそれもしなくなり、地震も気にならなくなった。首都圏在住二十年足らずで、飯塚市に引き上げ隠居の身となった。
東京大震災から九十二年にもなるが、幸いにしてまだ直下型の地震は起きていない。久方ぶりに思い出したが、我が家の非常持ち出し袋の一つは、今では貴重品収納用となっているが、今一つは、いつ紛失したのか見当たらない。非常持ち出し袋の紛失を忘れるほど、平穏な時間が経過したことに感謝しなければなるまい。
しかし、最近は東日本大震災以来、浅間山や桜島、屋久島、阿蘇山の噴火、箱根の火山性微動、さらには全国各地でのゲリラ豪雨など、天災地変が続いている。
昔中国では、天災地変は時の天子の不徳の致すところとされたとか。このところの日本各地の噴火や異常気象は、安倍政権の強引な国会運営を連想させられるがどうだろう。
われわれ庶民には如何ともしがたいが、天災地変も世界各地の紛争も、一日も早く治まってもらいたいものである。
(平成二十七年九月一日)
ramtha / 2016年1月29日