先月来、シリアからの難民に加えて、アフリカからの流民が、大挙してヨーロッパへ押しかけているニュースがマスコミを賑わしている。これに関して九月十一日の毎日新聞には、客員編集委員・西川恵氏の「ドイツ首相の指導力」と題するコラムが掲載されていた。
今回のような多数の難民の移動は空前の事態で、私には、世界史の転換を象徴する事件のようにも思われる。それだけに、これを受け入れるヨーロッパ諸国の指導者の対応と、この問題の成り行きが注目される。そこで西川氏の解説の全文を書き留める。
欧州への中東からの難民殺到は、ユーロ危機に続き欧州連合(EU)の土台を揺さぶっている。そしてユーロ危機の時と同様、EUのリーダーとしての存在感を見せつけているのがドイツだ。
ユーロ危機の時は当初、全面に立たないよう慎重だったメルケル首相だが、今回は初めから主導権を握り、EUの政治的流れを作っている。難民問題が顕在化した八月以降、同首相は人道的立場から難民受け入れの必要性を繰り返し訴え、受け入れに二の足を踏む他のEU主要国と比べ突出していた。しかし九月はじめ、シリア難民の幼児が溺死した映像が世界に流れて衝撃を与え、五日には同首相がハンガリーで足止めされている難民を入国させると発表して、政治的潮流を決定付けた。
ドイツに列車で続々と到着する難民と出迎えの人々の歓喜の映像は、難民への懐疑論を脇に押しやった。キャメロン英首相、オランド大統領は相次いで万単位での受け入れを表明。九日にはEUのユンケル欧州委員長が、数ヶ月前にまとまらなかったEU加盟国への難民割当て案を再び提起した。提起は独仏の調停に基づくものだが、ドイツ主導である事は明らかだ。
ユーロ危機が問うたのは、ギリシャのEU残留の是非だったが、難民問題が問うたのはEU域内の自由移動の是非である。この自由移動はシェンゲン協定(EU加盟国でも英国など一部は未加盟)によって保障され「開かれた欧州」の価値の裏付けとなってきた。
しかし高まる難民圧力に、EU加盟国は国境の障壁を高める誘引に直面している。ハンガリーはEUのセルビアとの国境に障害物を構築中。フランスはイタリアから難民が陸路で入るのを防ぐため国境管理を厳格化している。
メルケル首相は「開かれた欧州」の価値を維持するためには、EU加盟国が応分に難民を受け入れる必要性を強調する。特定国だけ負担がかかると「自由移動が難民問題の元凶」となるからだ。
同首相の難民への柔軟姿勢はリスクもはらむ。中東、アフリカにいる「亡命予備軍」に「ドイツは受け入れてくれる」と思わせ、さらなる難民の欧州への流れを作り出しかねないからだ。しかし「ドイツは利己的」と一部で批判されたユーロ危機とは異なり、難民問題では他国よりも多くの負担を背負ってきた。労働力の不足への計算があったとしても勇気ある決断だ。同首相は端倪(たんげい)すべからざる指導力を見せる。欧州を引っ張るドイツ。このことを誰も否定し得ない。
これを読んで感じたこと、考えさせられたことを記す。
① メルケル首相の判断の当否は別として、その決断力には驚かされる。
この問題に関してテレビでは、一部ドイツ人が自分たちの職場が失われるとして、難民受け入れ施設に放火する事件も伝えられていたものの、大多数の国民は、その決断を容認しているようである。そのことも我々日本人には不思議に思われる。しかし、ドイツ国民の大半が、今までの彼女の姿勢に満足し、その人格、力量を信頼しているからだろう。
② 毎日新聞では、この問題についてドイツ国内のマスコミの報道には触れていない。一読者としては関心のある所だが、残念ながら知ることができない。
③ メルケル首相の名前は、日本人の私にも馴染みのように思われるところからすると、彼女の首相就任は相当前のことであったと思われる。安倍総理より首相経験ははるかに長いに違いない。これから考えても、日本の総理の任期は短すぎる。日本では執政期間が一年に満たない総理も珍しくない。これでは実績を積み、多くの国民の信頼を得るなど、至難の事と言わねばなるまい。
④ 中東、アフリカからの難民の数は最終的には百万あるいは千万単位にも及ぶかも知れない。だからドイツの難民受け入れもほどなく中止されるかも知れない。
また言語、風俗、習慣を異にする他民族が長期にわたって混在すれば、様々なトラブルが起こってくる事は避けられないに違いない。どん底の生活につき落とされた難民に、今の時点で、謙虚さを求めることが無理なことかも知れないが、彼らの受け入れ先での日常行動が、メルケル首相をはじめ、欧州各国の善意を、裏切らないで欲しいと願わずにはいられない。
(平成二十七年九月十四日)
ramtha / 2016年1月30日