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一月十五日 「韓国人の祖先崇拝」

昨夜の天気予報では、今日は終日曇りとなっていたが、朝食前から雲一つない快晴である。南側のガラス戸を背に椅子に腰かけていると暖かくストーブもいらない。久しぶりに恵まれた陽気に、大野敏明氏著の「日本語と韓国語」を広げる。内容は私の知らないことばかりであるが、その中から日本・韓国・中国の人の姓名についての話題に興味を惹かれたので抜粋メモすることにする。

日本人の名前は明治維新以後幼名、通名、本名混然一体となっている。兄弟でも長男が「太郎」で次男が「良男」三男が「勇」などと言うのは珍しくない。江戸時代までの武士には元服までの幼名があり、元服後は本名と通名があり、通常は、堀部安兵衛武庸を「安兵衛」、神崎与五郎則休を「与五郎」と言うように通名で呼ばれていた。(本名は武庸、則休である)
そして本名には通常、代々決められた漢字があり、踏襲した。その決められた漢字、例えば織田氏の「信」、豊臣氏の「秀」、徳川氏の「家」を通字と言う。大体本名の上につくが、伊達氏の「宗」や池田氏の「政」のように当主は下に、一族は上につける場合もあったし、鎌倉時代の執権、北条氏のように、上下を問わないといったケースもある。

例外として歴代の徳川将軍にも秀忠、綱吉、吉宗、慶喜と「家」の字がつかない将軍が四人もいるが、それぞれ次のような事情があった。

秀忠は幕府成立前に本名をつけたが、これは豊臣秀吉から秀の字をもらったのである。綱吉は四代家綱の弟で、家綱が将軍の時に元服したので、家綱の下の一字、綱を上にもらい、吉宗も同様、綱吉が将軍の時に紀州家を継いで将軍から吉の字を上にもらった。慶喜は十二代家慶の時に一橋家を継いだと言うわけである。

当時の当主の下の事を上に戴くのが将軍家や大名家のしきたりで、これを「偏諱(ヘンキ=かたいみな)」と言う。主家への忠誠の証としたわけだろう。

韓国人の名前にはある種のパターンがある。したがって同じ漢字が多用される傾向がある。パタ-ンは一種類ではないが、最もポピュラーなのが陰陽五行説に基づくものである。これは古代中国で唱えられた説で、万物は陰陽二気によって生じ、五行(木火土金水)によって天変地異や人事吉兆を説明しようというものである。

余談になるが、明治時代になって七曜表(カレンダー)を作ることになり、日本ではこの五つに日月を加えたが、この七曜表は韓国でもそのまま踏襲している。ちなみに中国では、日曜日は星期日(センチーリー)といい、月曜日は星期一(シンチーイー)で、後は順番で土曜日は星期六(シンチーリュ-)という。本家中国では陰陽五行説を用いていないようである。

ところで木火土金水の順番は、木は火によって燃え、火は土をかぶせられて消え、土(土器)は金(金属)より弱く、金は水によって錆びる。そして水は木に吸われてしまう。すなわち強さの順番になっている。

かつて陏の初代皇帝楊樫は息子に殺されたが、息子は後に煬帝と諡(おくりな)された。名字の楊の木偏を火偏に改めて、父より強いことを示したと言う。これも五行説に基づいている。

韓国人の名前もこれと同じ発想になっている。父の世代に木偏が付いていれば、息子の世代は火偏、孫の世代は土がつくという具合である。しかも同じゼネレーションは同じ漢字を用いる。どの漢字をつけるかは、一族の中央会議ともいえる宗親会(あるいは、宗親会の代表者会議にあたる花樹会)で決定する。韓国を旅行すると、各地方ごとに「〇〇金氏宗親会〇〇支部」などと大きく書かれた看板を見かける。この決められた漢字を行列字(ハンニョルチャ)といい、この制度を輩行制度と言う。

日本人の姓は世界中で最も多いと言われる。丹羽基二編の「日本苗字大辞典」によれば、二九万一五三一あると言うが、韓国人の姓は1988年、ソウルオリンピックの年の韓国政府の調査では、わずか二四九であった。

日本人の姓の九割は地名に由来している。また日本人は養子・嫁をとったり、主君の姓を拝領したり、移り住んだところで姓を変えたりしているから、姓が先祖と同一とは限らない。
これに対して韓国では姓は先祖からの血を意味し、途中で改姓する様な事は無い。また日本人の姓には、林・森等の一字姓や、佐々木・長谷川等の三字姓もあるが、多くは鈴木・田中・伊藤など二字姓が多い。一方韓国では中国と同様に金・李・呉などほとんど一字姓である。

前述したように韓国では姓の数が少なく、名も同じような漢字を多用することから、同姓同名がずいぶん多い。そういうことからか、韓国人には隠れた姓とも言うべき「本貫」がある。「本貫」とは先祖の出身地、それも初代の出身地の地名を言う。姓が同じで本貫が同一であれば全て一族とみなされて、結婚はできないこととなっている。彼らは族譜(ぞくふ=チョクボ)と呼ばれる一族の系図表を作り、各人の名はもちろん、生年月日、字(あざな)かつて官職にあった人はその人の最高官位も記録される。

こうした事は先祖崇拝を第一とする儒教・朱子学の影響によるものと思われるが、同じ儒教を取り入れた日本とは、だいぶ違うようである。日本でも成り上がり大名が尤もらしい系図を作らせたという話があるが、韓国でも李朝末期には系図が売り買いされたと伝えられている。

以上、日本と韓国の姓名についての大野氏の著述の一部を抜粋したが、韓国人の先祖崇拝と日本人のそれとはどうして違うのだろう。考えてみると、ここに取り上げられて韓国人の風習も、日本の貴族に相当する両班(ヤンバン)層社会のことで庶民には、日本の朝鮮併合までは明治維新前の日本の庶民同様姓はなかったのではなかろうか。

それにしても、韓国人の祖先崇拝は彼らの意識を保守的にし、近代化を停滞させる一因となったのではあるまいか。また殊更に家系や面子(メンツ)に拘る国民性が反日感情の底に横たわっているようにも思われるが、私の偏見だろうか。諸賢のご批判を仰ぎたい。

ramtha / 2016年4月11日