洗濯器具の次は、収納について、記憶を呼び戻すことにする。
衣類を収納する和箪笥(わダンス)は我が家にもあったが、洋服箪笥は無かった。前にも述べたように親父は女学校の教員をしており、毎日背広を着て出勤していた。その背広の始末をどうしていたのだろう。私は親父の服装などに関心は無かったので、推測する他は無いが、オフシーズンの背広は洋服箱に入れて、天袋などに収納していたのだろうが、シーズン中はどうしていたか分からない。和服は衣桁(イコウ)に掛けて居たと思うが、洋服は、多分ハンガーに吊るし、部屋の壁ぎわの鴨居にでも掛けて居たのではないかと思われる。
また、季節外の下着などの衣類は、長持(ながもち)や葛籠(つづら)・柳行李(やなぎコウリ)などに入れ、押入に収納していたようだ。
この外、防湿・防虫効果を期待してのことと思われるが、内側に錫箔を貼り付けた茶櫃(テャビツ)も使っていた。今日ではキャスター付プラスチック製の収納ケースがあるので、押入からの出し入れも、いとも手軽にできるが、昔の茶櫃や長持などはキャスターなど付いてなかったから、重くて出し入れに苦労したものである。
私は高校入学以来、一人暮らしの間、収納用具はもっぱら柳行李一つであった。
(註)衣桁(イコウ)=着物などを掛けて置く家具。形は鳥居に似る。一般には真中から蝶番により畳むしかけの衣桁屏風(イコウビョウブ)が多い。
(註)長持(ながもち)り衣類・調度などを入れておく長方形の蓋のある箱。
(註)葛籠(つづら)=衣類を入れる、アオツヅラの蔓(つる)で編んだかご。後には竹や檜(ひのき)の薄板で作り、上に紙を貼った。
因みに、童話の「舌切り雀」で、雀のお宿を訪ねて行ったお爺さんに、お土産として宝物の入った葛籠が渡されるが、こんな童話は今も語り継がれているのだろうか。
(註)行李(コウリ)=旅行用の荷物入れ。竹または柳で編み。ツヅラのように作ったもの。衣類入れにも用いられる。
もう二十数年も前のことになるが、新潟県新発田市の史跡足軽長屋を見学したとき、押入が無いのに驚いたが、身分の低い足軽だから持ち物も少なく、昔はこれで生活が出来たのかなと思ったことであった。
ところが、平成元年、今度は長野県穂高町(現在安曇野市)の重要文化財曽野原家住宅を訪れたとき、ここでも押入の無いのにびっくりした。説明書によれば、曽野原家は、もと豪族仁科家に仕える武士で、仁科氏が武田信玄に滅ぼされた後帰農し、江戸時代には、ここ新屋村の庄屋を代々勤めた名家で、この家も屋根こそ積雪に備えてのことと思われる柿葺(こけらぶき)であるが、建坪が七十坪にも及ぶ豪壮なものである。それなのに押入が無いとはどういうことなのだろう。衣類は長持などに収納していたとしても、寝具などはどうしていたのだろう。昼間は畳んで長持の上にでも重ねて置いていたのだろうか。怠け者の私はいろいろ想像するばかりで、調べていないので、未だにわからず仕舞いで居る。
(註)柿葺(こけらぶき)=木材を細長く削り取った板をコケラと言うが、これで屋根を葺くこと。
ramtha / 2016年5月24日