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三、家具・生活用具など(④ 掃除道具)

④ 掃除道具

掃除の掃(ソウ=はく)の字の旁(つくり)は帚(ソウ=ほうき)である。
この字形について、漢字源(藤堂先生他編)においては、「柄のついたホウキを描いた象形文字である」と説明している。

これを見ると、大昔から掃除とは、帚(ほうき)を手に持って家の中の塵や埃を掃き出したり、掃き集めたりすることであったことが良く分かる。

今日よく目にする箒(ソウ=ほうき)は、もともと竹の小枝を束ねて丸竹の柄をつけた竹帚で、地面を掃くときに用いるものである。

電気掃除機が出現するまで、室内を掃くのには、初めに叩(はた)きで、障子の桟や棚の上の埃(はこり)を払い落とし、次に藁蘂(わらしべ)などを材料にした長柄の座敷帚(ざしきほうき)で畳の上の塵や埃を掃き、最後は縁側や掃き出し窓から、屋外に掃き捨てて居た。

なお、掃除の効率を上げるため、帚(ほうき)で掃く前に、茶殻や濡れた新聞紙を小さく千切ったものを固く絞。て畳の上に撤き、これに塵埃を付着させて掃き集めたりしていた。

部屋の隅や家具の間など狹いところは、片手で使う小さな手帚(てぼうき)を用いていた。

今日では、ほとんどの家で見ることが出来なくなった竈(かまど)だが、昔は竈には荒神(コウシン)様という神様が居られる神聖なところとされ、竈の周りを掃除するときは、他の不浄な帚と区別して、特別な荒神帚を使って清掃していたようである。

またピアノの蓋のような傷つきやすいところや、貴重なものの埃を払うには、今日と同様に鳥の羽根で作った羽帚(はねほうき)で慎重に掃いていたようだ。

(註)叩き(はたき)=室内または道具類の塵をはたき払う道具。羽毛・布片などを束ねて柄を付けたもの。塵払い。

(註)掃き出し窓=室内の塵を掃き出すための開口部で、その下部を床と同一平面に設けた小窓。

畳の上の掃除は、帚が使われたが、廊下や板の間などは掃いた後、さらに雑巾(ゾウキン)がけをした。家具の移動をしたときなど、特に埃が多い場合には、畳の上も乾いた雑巾で、いわゆる空拭きをしていた。また子供が汚れた足で上がり下りする縁側などは、濡れ雑巾で何度も拭いたことであった。学校でも掃除当番のときは、教室の床や廊下の雑巾かけをさせられた。

今時のように、蛇口の栓を捻ったら途端に温かい湯が出てくることもなく、瞬間湯沸かし器もなかったから、冬でも冷たい水で雑巾を洗うほかはなかった。

当時に思いをはせると、手で雑巾の両端を押さえ、尻を後ろに高く突き出した姿勢で、廊下の端から端まで走る同級生の姿が目に浮かんでくる。また、バケツの水の中で何度も雑巾洗いをしては、真赤になった手の甲を擦り合せたり、息を吹きかけて温めたりしていたことが思い出される。

今では柄の長いモップやフロアーワイパーなど、立ち姿のまま出来る便利な道具があり、腰が痛くなったり、冷たい水に手を入れたりする苦労も、しなくて済むこととなったが、学校の掃除など今はどうしているのだろう。

玄関先や家の周りなどの屋外の掃除には、今日と同様に、竹帚や草帚が使われていたが、庭が広く庭木の多い昔の家では、松葉掻(まつばかき)で、落ち葉を掻き集めて焼く煙が、晩秋の空に立ち上る光景が見られた。

その焚火の中で焼いた、まだ熱々の薩摩薯を食べさせてもらったが、お菓子など与えられることの少なかった当時、子供にとっては嬉しいおやつであった。

ところで、婦人の婦(フ)は「女」と「帚」の組み合わせで出来ている。これを見て掃除は女の仕事であり、男はしなくてよいと、手前勝手な解釈をしていたが、白河先生によれば、婦の原義は、先祖を祀る宗廟を清める女性=一族の頭領の正妻を意味したものと言う。

ramtha / 2016年5月23日