文房具の一つに物指しがある。小学校の時は、竹製の三〇センチの定規を、中学ではたしかセルロイド製のものを使っていたように思う。
同一の物を「物指し」とも言い、「定規」とも言うが、長さを測る目盛りを使用するときは「物指し」であり、直線を引くための道具として使用するときは、「定規」と言うべきだろう。
ところでわが国では、長年、尺貫法を用いてきたが、明治十九年、メートル条約に加盟している。しかし度量衡は民衆の生活に密着したもので、おいそれと変更することは難しい。大正十三年にメートル法使用を開始しているが、完全実施は昭和四十一年に至ってようやく実現したと言われている。
(註)尺貫法(シャッカンホウ)=長さの単位を尺、容量の単位を升、質量の単位を貫とするわが国古来の度量衡法。
(註)メートル条約=一八七五年(明治七年)メートル法度量衡の制定普及を目的として締結された国際条約。
余談になるが、度量衡(ドリョウコウ)とは、長さと容積と重さを計ることであり、また、それぞれを計る器具を意味する言葉として長年使ってきたが、その字源について、疑問には思っていたが、調べてみることなく過ごして来た。
字統(白河静著)によれば、「度」は席(セキ:タク=むしろ)の略体と又(手)の会意文字で、席(むしろ)を広げて持つ形を表わし、原義は、儀礼のとき筵席を設けるに当たってその長短を測ることを意味している。
次に「量」の古い字形は、流し口のついた大きな嚢(ふくろ)の形を描いた象形文字で、嚢(ふくろ)の流し口から穀物を入れてその量をはかるもので、その分量を容量という。
また「衡」は轅(ながえ)の前端につける横木で、その左右に牛馬の首を抑える軛(くびき)をつける。そこから横の意味となり、さらに水平・平衡を意味し、天秤の意味に発展したもののようである。
(註)轅(ながえ)=牛車・馬車などの前に長く並行に出した二本の棒。その前端に軛(くびき)を渡し、牛馬に引かせる。
(註)天秤(テンビン)=中央を支点とする梃(てこ)を用いて質量を測定する器械。両端に皿を吊るし、一方に測ろうとする物を、他方に分銅(フンドウ)をのせて、水平にし、質量を知る。
だから「度量衡」は、長さ・容量・重量のすべてを一括して表わすまことに便利な言葉だが、今ではあまり使われて居ないような気がする。
最近はよろずカタカナ語が氾濫しているので、今の若い人は、度量衡などもカタカナ語で代用しているのではと思ったが、さてなんと言うのだろう。私の手持ちの和英辞典では、度量衡はweights and measureと訳されているが、こんな長たらしい言葉を使うとは思われない。そこでカタカナ語辞典(三省堂発行)のメジャーの項を見たが、意味は「巻尺・ものさし」となっており、適切とは言い難い。次にスケールを見ると、①規模。②尺度、基準、目盛り、また、目盛りつきの物差し、てんびんばかり。と説明してあるところを見ると、こちらが使われているのかなと思うが、どうだろう。
私たちが小学生の時、算数の学習や身長、体重の測定はメートル法で行なわれていたが、日常生活では、「あの人は背は高く六尺ちかくもあるのに、痩せていて目方は十二貫ぽかりしかないそうだ。」と言うように、もっぱら旧来の尺貫法が使われていた。
身長を測る器具は、今日病院などに備えられている木製の器具と同じものであったと記憶しているが、体重計は、分銅を加減して測定する大きな台秤(だいばかり)が使われていた。今では時計の文字盤のように針が回って重量を示すものや、俗にヘルスメーターと呼ばれる家庭用の小型の体重計に進化しているが、それがいつ頃のことだったのかは憶えていない。
小売店での売買も、米・酒・醤油などは、斗(卜)・升(ショウ)・合(ゴウ)・勺(シャク)、を単位として、枡(ます)で量り売りをしていたし、味噌・芋・西瓜などは、貫(カン)・匁(もんめ)を重量の単位として、棹秤(さおぽかり)または台秤を用いていた。
今では、スーパーマーケットはもとより、ほとんどの小売店に並べられて居る食料品は、瓶詰・袋詰もしくはビニールパックされ、それぞれ容量表示がしてある。だから店先で枡や秤を見かけることもまず無い。昔はほとんどの商品が量り売りされていたから、顧客も一升瓶や手提げ籠などの容器を持参していたものである。だから今日騒がれているビニール袋の氾濫による環境破壊という悩みなどは全く無かった。
家庭でも米櫃の中には、米を量る木製の枡が備えられていたが、今ではプラスチックのカップが使われていたり、米の容器の下部に取り付けられているハンドルを操作することで、必要量の米が出てくる仕掛けになっているようである。
木製の枡は家庭では見かけなくなったが、居酒屋などでコップ酒を注文すると、一合枡を受け皿にしたコップに溢れるばかりの酒を注いでくれる。また昔は仕事上がりの職人などが、酒屋の店先で枡の角に口を当て、立ち飲みする、いわゆるカクウチする姿が見られたものだが、今ではあまり見られないようだ。
我が家から程遠がらぬところに、昔ながらの酒屋があり、十年ばかり前まで、作業服姿の男達がカクウチをしているのが見られたものだが、店主が代替わりしたのか、いまではコンビニに変身し、かっての光景は見られなくなってしまった。
また少し離れたところに、酒の量販店があるが、こちらも、自家用車で乗り付け、紙パック入りの酒や缶ビールのケースを纏め買いして慌ただしく帰って行く客がほとんで、店の従業員もいつも忙しげに動き回って居り、店先でカクウチするような雰囲気ではないようだ。
昔は週六日制で旗日も少なく、振り替え休日という制度も無かったが、今時のサラリーマンのように、デートする暇も無いような忙しさではなかった。残業する日も無くはなかったが、時には帰宅途中の酒屋で同僚とカクウチしながら、上司の店卸しをしてオダを上げることもしばしばあったような気がする。
われわれの時代と異なり、パソコンをはじめ、よろず便利になっている筈だが、どうしてだろう。物質的豊かさと引き換えに、ゆとりを失ってしまっているようだ。
先日、空缶回収業者が網袋に入ったアルミ缶を発条秤(ぜんまいばかり)に吊るして重量を測っているのを見かけたが、あれはずいぶん前から使用されていたようだ。
(註)枡・升(ます)=度量衡器の一つ。液体・粉状物粒状物などの分量を量る器、木製または金属製で、方形または円筒形。普通は一升枡を言う。
(註)棹秤(さおぽかり)=棹の一端に、皿または鈎(かぎ)があって、その近くには把手があり、これを支点とし、量るべき物を皿に載せ、または鈎に吊り、棹の他端に分銅をかけ、棹が水平になるまで、分銅を左右に移動させ、棹の目盛りによって、その物の重さを量るもの。
また衣類や布は丈・尺・寸で測られていたが、この場合の物指しは鯨差し(鯨尺・呉服尺とも言う)で、その一尺は、一般に長さを測る曲尺(かねじゃく)の一尺二寸五分(約三七・九センチメートル)あった。
そんなことで、我が家でも母が浴衣の生地を裁断するときなどには、鯨尺(くじらじゃく)の物指しを使っていたが、たしか二尺ものの物指しだったように思う。
なお、曲尺(かねじゃく)は、本来大工さんが用いる直角に曲がった物指レで、金属製のところから、「かねじゃく」と言われたということである。しかし長さの単位としては、その一尺は三〇こ二〇三センチメートルあり、鯨尺と区別する言葉として用いられていた。
今日では1.8リットル(一升)瓶や、不動産広告に坪数が括弧書きされているあたりに、わずかに昔の名残りが窺われる程度にメートル法がゆきわたっている。
しかし、聞くところによると、木造建築の分野では、今も尺貫法が生きていると言うことのようである。もっとも、曲尺(かねじゃく)の目盛りでは、尺貫法の一寸のところに、三十三分の一メートルと表示されているらしい。考えてみれば、重要文化財の神社仏閣など、尺貫法の時代に建てられているから、その修復をメートル法でというわけにはいくまい。
なお私の世代では、土地・家屋については、いまだに間口二間・奥行き半間とか、建坪三十坪・延坪四十坪などと言う方が、メートルや平方メートルより分かり易い。
(註)間(ケン)9長さの単位。主に土地・建物などに用いる。普通一間は六尺(一・八一八m)
(註)坪(つぼ)=土地面積の単位。六尺四方、すなわち約三・三〇六平方メートル。
(註)建坪(たてつぼ)9建築物の占める土地の坪数。
(註)延坪(のべつぼ)=家屋床面積の総計。二階建てならば、一階と二階との合計坪数。
ramtha / 2016年5月6日