会社の仕事でも、村の祭りや行事でも、概ねリーダーのような人が思い立ち、然るべき人が日程や順序次第を企画し、それに従って実施される。
ところで「企画」という言葉は、大和言葉では「くわだて」と言い「企画する」ことは「くわだてる」といわれる。「くわだてる」と言うと、鍬(くわ)を立てることのようにも思われるが、何か関係があるのかと考え、「くわだてる」を広辞苑に尋ねてみた。すると次のように説明している。
くわだてる=文語、くはだ・つ。古くは清音。①つまさきだつ。かかとをあげて伸びあがる。②思いたつ。もくろむ。計画する。
ところで「爪先立つ」がどうして「計画する」ことになるのか。不思議でならない。そこで漢字の「企」を白川静先生の「字統」を開いて調べてみると、次のように説明されている。
企(キ=つまさきだつ・くわだてる)=人が踵(かかと)をあげて立つ形の象形文字。人の側身形の下に大きな足を加えている。「人」と「止」とに分かつべき形ではないから一字の象形とする。遠くを望む形であるが、それは他に対して何かを企てるときの、様子を望見する姿勢である。
国語の「くわだつ」は「趾(くわびら)立つ」で、つまさき立つことから企画する意となった。企立から企画へという語義の展開が、まさに両者同じである。
考えてみると、飛行機も望遠鏡も無かった昔は、敵の戦力や隊形をあらかじめ知るためには、高いところに上がり、更に背伸びして探る他、手段は無かったことだろう。戦の計画を立てる手始めは、まさに爪先立ちして敵情を観察することであったに違いない。古代の日本人と中国人が同じ発想をしていたとは面白い。
なお、趾(くわびら)と言う言葉は初めて教えられたが、広辞苑の説明は次のように書かれていた。
くわびら(鍬平)=①鍬の、柄を除いた部分。また、そのような形。②足の、くるぶしから先の部分。足首。扁平で土踏まずのない足。鍬平足。扁平足。
こだわるようだが、「くわだつ」の語源について、古来農耕民族の日本人は、新たに耕作地を切り開く時、まずは鍬を立て、その上に顎を乗せた姿勢で、いかに開拓すべきか思案したのではないか。
私だけの偏見と言われるだろうが、大和言葉の「くわだつ」の語源は「鍬立つ」にあったのではと、私には思われてならない。
ramtha / 2016年8月20日