旧制中学で英語を、旧制高校でドイツ語を習ったが、社会に出てから語学を必要としない職場ばかりを渡り歩いたので、生来の語学嫌いと相俟って、少しばかり噛った外国語もすっかり忘れてしまった。
その私が欧米諸国の言葉と中国の言葉について考えてみようというのは、烏滸(おこ)がましい限りであるが、最近気になっているアルファベットと漢字の後ろにある、ものの考え方の相違について、賢明な皆さんのご批判を仰ぎたく、この筆を執ることとしたわけである。
欧米諸国の使用するアルファベットは表音文字(別に発音記号を必要とするので、正確には表語文字と私は考えているが)であるから、その表わす言葉は、man(人)やdesk(机)など形ある物もあれば、power(力)やangery(怒る)など抽象的な概念もある。
これに対して表意文字の漢字は、本来、形あるものを表わす象形文字である。だから、人、机(最初の字は几)などは、その形を簡略化して描いている。また、力には、農耕や土木作業など力仕事に使用する耒(すき)の形を描くことで代用してきた。また「怒る」という抽象的な心理状態は、奴隷を意味する「奴」と、奴隷が何時も抱いている怒りの「心」を組み合わせて(こういうのを意味を合わせた文字、会意文字という)表現している。言うならば、抽象的概念を表わす必要に迫られたとき、漢字の本家である中国では、既存の象形文字を転用したり、組み合わせることによって、対応したようである。
《参考》
漢字は中国で創られた文字体形であるが、その変遷を大雑把に言うと、最初は亀の甲羅や獣の骨に占いの記録を刻んだもので、これを甲骨文字と言う。その次に諸国の王が功臣に褒賞として与えた金属性の壺の回りにその理由を刻んだもので、これを金文と言う。さらに時代が進むと諸侯がそれぞれさまざまな字を創ったが、秦の始皇帝が天下統一すると、同時に文字の統一をした。この字は、左右が垂れ下がった装飾的な字であったから、篆文(テンブン)という。しかし時代とともに事務が複雑になり文字を使うことが増えてくると、書くのに便利な今のような楷書が生まれた。
また、最初は物の形を簡単にした文字を創ったが、これを象形文字と言う。次に一・二・三のような物の数や、上・下などを示す指事文字ができた。
文明が進んで来ると形のない物や抽象的概念を表わす字が必要となってきた。そのとき古代中国人は、既存の象形文字の意味を組み合わせて新しい意味の文字を創ったり(これを会意文字という)、その物の主たる意味を表わす字(これを意符という)と、音を表わす字(これを音符または声符という)とを合わせて、新しい字(これを形声文字という)を創ったりした。
しかし、その対応は「力」=耒(すき)の形を借りたり、「怒る」を目に見える奴隷の姿を借りて表わしているように、あくまで目に見える、いわば形而下の世界に引きずり込んでいるところを見ると、中国人の思考は、あくまでも形而下的と言えるのではないだろうか。
形而上:「形をもたないもの。抽象的なもの」感覚ではとらえられない無形のもの。
形而下:「形のあるもの」。感覚器官で存在を知覚できるもの。
考えてみると、中国を代表する儒教も、現実社会の倫理道徳の教えであり、キリスト教やイスラム教に匹敵する宗教は見当たらない。中国人の思考は形而下に徹しているように私には思えるが、果たしてどうだろう。
ところで、日本の文化は約二千年の昔以来、中国の影響を最も多く受けている。とすれば、日本人が概ね無宗教であると言われるのも、現実的思考と言われるのも納得が行くように思われるが、どうなんだろう。
ただ、中国人が中国の国民と言う意識よりも、先祖伝来の一族の団結が強い点は、日本人と大いに異なるように思われるのは何故だろう。
中国の歴史が匈奴など周辺の蛮夷の侵入と、革命、内乱に明け暮れたのに対して、日本は元寇以外、外敵の来襲はなく、国内での武士同士の戦はあっても、庶民とは無関係で、しかも短期間であり、比較的平穏であったからだろうか。それとも徳川幕府の二五十年にわたる鎖国と天下統一のおかげによるものだろうか。
尤も、日本では、仏教を広め、現世の道徳涵養のため、地獄極楽の物語を創り、子供の躾に利用してきたが、大半の大人は作り話と見破っていたに違いない。
いずれにしても、欧米先進国がキリスト教など形而上的思考を有するのに対して、中国や日本では基本的に物事を全て形而下的に理解し、思考する傾向があると言えるように思われる。だから、死後の世界など考えず、ひたすら生きている今日を楽しみ生き抜く暮らしをしているのではなかろうか。
その現実主義の中国が、今や世界第二の大国となり、国際秩序を無視して、なおも躍進を続けようとしているが、世界を騒がせているイスラムテロとともに、今後の成り行きが気にかかるところである。
ramtha / 2016年8月21日