昨日午後三時から、今年御歳八十二歳になられる天皇陛下ご自身の体力と、公務執行について、一抹の不安を抱かれているお気持ちを述べられる、録音放映があった。
今朝の毎日新聞は「象徴としてのお務めについての天皇陛下のお言葉」と題して、その全文を掲げている。子孫のために、ここに謹写することとする。
天皇陛下のお言葉
戦後七十年という大きな節目を過ぎ、二年後には平成三十年を迎えます。
私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。
本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。
即位以来、私は国事行為を行なうと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごしてきました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に答えていくかを考えつつ、今日に至っています。
そのような中、何年か前のことになりますが、二度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが、困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。
私が天皇の位についてから、ほぼ二十八年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも、大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行なって来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(シセイ)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。
天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たせなくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二ヵ月にわたって続き、その後葬儀(ソウギ)に関連する行事が、一年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが胸に去来することがあります。
始めにも述べましたように、憲法の下(もと)、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的にいくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話いたしました。
国民の理解を得られることを、切に願っています。
これを拝読して、私が感じたこと。考えたことを記すこととする。
① かねてから天皇陛下には、私ども国民と異なり、お生まれながらにして、職業選択などの自由の無いご身分であらせられ、まことにご不自由なことで、畏れ多いことと拝察しているところである。
庶民のサラリーマンは、概ね六十歳前後で停年退職し、自由気ままな生活が許されるのに、御歳八十を越えられて、なお公務を務められておられるのは、お気の毒と申し上げる他はないと考えているところである。
② 私と同様に考えている国民は少なからず居るものと思われるが、さりとて如何にすべきかとなると、思案に余る所である。
しかし、このように、生前退位の意思表示を自ら示されたからには、われわれ国民としては、そのご意志をすみやかに実現されるよう、協力して差し上げるべきものと考えているが、多くの国民はどうなんだろう。
③ 神武天皇以来、今上陛下は、第一二五代の天皇陛下であらせられるが、先の世界大戦を経験せられた昭和天皇とともに、最もご苦労をされた天皇陛下であり、敗戦後の改正憲法下の象徴としての天皇の在り方に、心を砕かれ、体現されてこられた最も賢明な陛下であらせられると、畏れ多いことながら、私は拝察申し上げている。
④ 日本は周囲が海に囲まれ、日常外国人を見ることは滅多になく、一般庶民は、自分が日本国民であることは勿論、そもそも国家意識を持つことも無かったに違いない。明治時代の日清戦争で、初めて国民の団結の必要性を意識し、その核心が皇室であることを、認識したことだろう。
⑤ 第二次世界大戦で敗戦国になり、天皇は国と国民の象徴としての存在とはなられたが、天皇制が維持されたことにより国の中心が存続され、日本国は崩壊することなく戦後の奇跡的発展を達成することができたと、私は考えている。とりわけ今上陛下の国民を思われるご行為によるところが大きかったと思われる。
⑥ それだけに生前退位を示されたお言葉の衝撃は大きかった。しかし、陛下のお歳を考えると、一日も早くごゆっくりされるよう願わずには居られない。正直なところまことに複雑な気持ちが胸の中を去来する。
なお、毎日新聞には関連記事として、世界の主な王政、君主制、立憲君主制の国とその国王名(年齢)、即位年をを地図つきで示している。また、欧州の※印は最近、生前退位をした国ということである。
(ヨーロッパ)
国 名 国王名(年齢) 即位年 英 国 エリザベス女王(九〇) 一九五二年二月 スペイン フェリペ六世(四八) 二〇一四年六月 ノルウェー ハラルド五世(七九) 一九九一年一月 スウェーデン カール十六世グスタフ国王(七〇) 一九七三年九月 デンマーク マルグレーテニ世女王(七六) 一九七二年一月 オランダ※ ウィレムーアレクサンダー国王(四九) 二〇一三年四月 ベルギー※ フィリップ国王(五六) 二〇一三年七月 ルクセンブルグ※ アンリ大公(六一) 二〇〇〇年十月 リヒテンシュタイン ハンス・アダムスニ世(七一) 一九八九年十一月 モナコ アルベールニ世(五八) 二〇〇五年七月
(中 東)
ヨルダン アブドラ国王(五四) 一九九九年二月 サウジアラビア サルマン国王(八〇) 二〇一五年一月 カタール タミム首長(三六) 二〇一三年六月 クウェート サバハ首長(八七) 二〇〇六年一月
(南アフリカ)
スワジランド ムスワティ三世(四八) 一九八六年四月
(ア ジ ア)
日本 天皇陛下(八二) 一九八九年一月 タイ プミポン国王(八八) 一九四六年六月 ブータン ワンチュク国王(三六) 二〇〇六年十二月 カンボジア シハモニ国王(六三) 二〇〇四年十月 ブルネイ ボルキア国王(七〇) 一九六七年十月
(南太平洋)
トンガ ツポウ六世(五七) 二〇一二年三月 (参考:広辞苑より)
王政=①王者の定めた制度。②王が統治する政治制度。君主制。
君主制=世襲の君主により統治される政治形態。君主の専断に委ねられる絶対君主政体と制度によって制約される制限君主政体、とりわけ憲法の制限下に置かれる立憲君主政体とに分かれる。
これを見て初めて知ったこと、感じたことなどを書き留めておくことにする。
① 君主制の国がこれだけあることを初めて知った。また、南北アメリカ大陸に君主制の国が一つもないことで、かって白人の植民地であったことを、改めて思い知らされた。
② ここに掲げられている君主制の国で、将来、共和国に変わるものが少なからず出るのではないか。それを思うと、今日の立憲君主制の模範とも言うべき日本の存在は、ますます貴重なものとなるのではなかろうか。
ramtha / 2016年8月21日