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八月二十六日 「相模原事件について」

今日の毎日新聞には「相模原事件から一ヵ月」と題する次のような社説を掲載している。

相模原市の知的障害者入所施設「津久井やまゆり園」で重度障害者十九人が殺害され二十七人が負傷した事件から一ヵ月が過ぎた。

殺人容疑で逮捕された植松聖容疑者が事件五ヵ月前に精神科へ措置入院していたところから、現在、厚生労働省は再発防止のため措置入院や退院後のフォローのあり方について検討している。各地の自治体や障害者施設では防犯体制の強化、瞥察との連携などを模索している。
「障害者は不幸を創ることしかできない」という容疑者の言葉に社会が揺れた一ヵ月でもあった。障害者や関係団体は、声明や集会で抗議の声を上げ、賛同の輪が広がった。その一方で容疑者に共感を示す意見がネットなどで散見された。障害者を否定的に見る社会の暗い一面が事件によって表に出たとも言える。

容疑者は措置入院するまで同施設で働く職員だった。
勤務中から障害者に対する虐待行為や暴言があったという。施設側の指導や改善策も含め、どのような状況で容疑者がゆがんだ障害者観を形成していったのかを詳細に検証する必要がある。

容疑者は声をかけて返事がなかった重度の障害者から殺害したと供述したとされる。しかし、近隣の住民や友達、ボランティアに囲まれ、地域に溶け込んで暮らしている重度障害者も最近は増えている。家族が介護を担うのではなく、少人数のグループホームで暮らし、ヘルパーや通所施設などを利用して生活しているのである。

入所施設の職員だった容疑者は「保護者の疲れきった表情」を見て「障害者は不幸を作る」と思ったというが、最近の地域福祉の現場では障害のある子に愛情を注ぐ保護者の顔をいくらでも見ることができる。

もちろん、入所施設で働く職員にも熱意や善意がある人が多く、自傷他害などで支援の難しい障害者の貴重な受け皿になっている施設もある。しかし施設入所によって地域社会での豊かな人間関係から障害者を切り離し、社会から障害者の素顔を見えなくしていることについても深く考える機会にしたい。

施設の施錠を強固にし監視カメラを増設して防犯体制を強化しても、障害者への偏見や優生思想の進入を防ぐ事はできない。地域福祉の現場では施錠や壁でなく、理解や配慮で障害者を守っているのである。

悲惨な事件ではあったが、障害者を守りたいとの善意も広がった1ヵ月だった。障害者は「施設内でしか生きられない特別な人」ではなく、「地域で暮らすふつうの隣人」であるはずだ。多様性を身近に感じられる社会を築くことで偏見をなくしていきたい。

① これを読んで感じたことは、同じ知的障害者にも、家庭で家族と共に生活できる軽度の者と、家庭では家族の生活も攪乱され、思いあまって施設に預ける重度の者とあり、これを区別せずに議論を進めることは無意味である。もちろんその区別に困難するケースもあるだろうが、これに就いては試行錯誤を繰り返して判断することになるだろう。

② 軽度障害者に就いては家族と一緒に生活し、手軽な作業から始める職業訓練などで、生活能力を与えるなど対応ができるが、重度障害者はそうはゆかない。

③ これは重度知的障害者に対する接遇についての具体的な提言ではなく、それに対して万人が持つ苦悩の開陳であり、この問題の解決に対する空想的希望である。
筆者は重度知的障害者をなんとか普通の社会の中で共生することで、彼らの人格を認め尊重したいという希望を述べてはいるが、具体的方法は見いだせず、そのもどかしさに苦悩しているようである。

④ この事件に関しては、被害者の家族の迷惑を考慮して、警察も被害者の氏名を公表していない。被害者の家族としては、そのような家族が居ることは、今までもできる限り他人には隠してきたに違いない。他人に知られればたちまち噂となり、被害者の兄弟姉妹はもとより、親戚一同の縁談や就職にも、影響を及ぼすことになりかねない。

⑤ だから長年施設に預けていたことだろう。この問題の難しさはここにある。私自身甚だ無責任な言い方になるが、できれば、このような重度知的障害者と無関係であることを祈るばかりで、この種の不幸なご家族があれば、そ知らぬ態度で交際を貫き通すしかないと思っている。良心の痛みは感じるが、それ以外の方法があれば教えて戴きたいものと考えている。

ramtha / 2016年9月14日