十三時五七分、函館駅到着。先日宿泊したホテルニューオーテに荷物を置いて、市内電車で五稜郭へ。
「五稜郭前」と車掌が案内するので下車したが、そこから五稜郭までは相当距離があった。
私は昭和十八年五月・昭和六十二年六月と、前に二度来たことがあるのだが、凡愚の悲しさ、記憶の中の風景と眼前のものとが繋がらない。
昭和十八年の時は、この辺りに父の弟の三郎叔父さんの家があり、そこから歩いて来た。その時は、正五角形の城郭はあるものの、今日のような観光施設はもとより無く、自由に出入り出来たが、中は雑草が気ままに生えている変哲もない広場に過ぎなかった。散策する人影も無く、夕暮れの石垣の上に立つと、まさに「つわものどもの夢の跡」といった寂寥感に包まれたことが思い出される。
昭和六十二年には、先輩の井手千二さんと、名鉄観光のパック旅行で来たのだが、その時は既に、展望タワーなどあって、多くの観光客が見られた。しかし、どの入り口から入って、どの辺りを歩いたのか、さっぱり思い出せない。
今はつつじの花盛り、その美しい姿を濠の水に映している。見れば、展望タワーの横に、より高いタワーを目指して新しく工事が進められている。
屋台の焼きトウモロコシを噛りながら、そぞろ歩きしている平成の民を、ここで戦火を交え、命を落とした兵(つわもの)達は、あの世からどのような思いで眺めていることだろう。
六月十七日、今日は函館十二時十七分発の北斗九号で帰途に就く予定である。それまでの時間を利用して、佐藤家の祖先に関する賢料を求めて、市立図書館へ行くことにする。
生憎の空模様だが、函館駅前の電停から谷地頭行きの市電に乗る。電車は朝の市街地を西へ進み、十字街電停から南下する。沿線の道には勤め先へと急ぐサラリーマンの姿が見えている。
終点の一つ手前の青柳町で下車、地図を頼りに右手の坂を上ると、木立ちに囲まれた広い公園に入る。この中に図書館があるはずだが、ちょっと分からない。公園内の坂道を上がり下りしているうちに、見つけ出した。
やっとの思いで正面の石段を上ってみたら、扉は固く閉ざされている。張紙があるので見ると、図書館は目下建てかえ中で、当分の間休館とのこと。残念だが仕方がない。
電車で後戻り宝来町で下車する。この辺りに高田屋嘉兵衛が住んでいたとか、地図を見ると、少し先の交差点を右に入ったところに、彼の屋敷跡があるようだ。私たちは左へ曲がって、彼の銅像が立っているところへ出た。
松前も江差も坂道に悩まされたが、函館も坂が多く、いささか草臥れた。路線パスを待って函館駅へと戻り、帰途につく。
ramtha / 2016年10月16日