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「二十一、玉音放送」

部隊の志気が低下して居ることは、もはや目に余るものがあると感じられたからであろう、連隊副官の安部大尉が各大隊を回って精神訓話をされることになった。私がそのお供を命じられ同行することとなった。

あれは八月十五日の午後三時過ぎくらいではなかったろうか。第三大隊本部で大隊所属の将校、下士官を前に安部大尉が「必勝の信念」と題する訓話を始められた。

私は演壇の右脇下に立って居たが、訓話が始まって間も無く、連隊本部から駆けつけてきた伝令に、安部大尉への親書を手渡された。封書の表に赤字で「即時必見」とある。

安部大尉の講話を中断するのは、如何なものかと思われたが、「即時必見」とあるからには已むを得ないと判断し、壇上の安部大尉に近寄り手渡した。安部大尉は訓辞を中断して封書の中味を一瞥されると、書類はポケットに押し込み、そのまま訓辞を続けられた。

安部大尉のなんら変わらぬ素振りから、途中で手渡す程のことではなかったのか、要らざることをして、叱られるのかと想ったが、講話終了後、大尉は何も言われず、部隊本部へ帰ることとなった。

もう午後六時ぐらいではなかったかと思うが、夏の空はまだ明るく、両脇に雑草の生い茂る坂道を歩いて行った。途中で小川に架かる橋を渡りながら、安部大尉は独り言のように「戦争は終わった」と一言呟(つぶや)かれた。私は突然のことでびっくりしたが、同時に来るべきものが来たという思いを心の隅で感じていた。しかし黙って大尉の後について歩いていた。

今振り返ってみると、頭の中は真っ白になって何を考える余裕も失っていたようである。

本部に帰ると、下士官以下全員が、食事をするのも忘れたかのように呆然としていた。情報班の値賀上等兵だけが、無線機を前に忙しそうにしていた。

戦後知ったことだが、この日、昭和二十年八月一五日正午、昭和天皇による終戦の詔勅がラジオを通じて放送されたということである。いわゆる玉音放送である。

ramtha / 2015年6月8日