「お早よう」「今晩は」など、私たちは人と出会う度に毎日幾度も挨拶をしているが、挨拶の語源は何だろう。
広辞苑の「あいさつ(挨拶)」の項を見ると
①禅家で師僧が門下の僧と問答して、その悟道・知見の深浅を試みること。
②うけこたえ。応対。返事。
③相手と取り交わす、祝意や感謝・親愛の意を述べる言葉。また、それに伴う動作。
④仲裁。仲裁人。
⑤紹介。紹介者。
⑥二人の仲。間柄。交際。
などと記されている。
次に字統の説明を見ることにする。
挨(アイ=うつ)は、手+矣(イ)の形声文字。「説文解字」に「背を撃つなり」とみえ、次条の撲(ボク)にも「挨なり」としているから、強く提(う)って後ろから押し退ける意の字である。拶(サツ)は「説文解字に収めていない字であるが、唐の韓愈(カンユ)の「雪の詩」に雪の舞うさまを「相排拶す」と歌うており、これも他を押し退けて争う意である。
家毎に調査して犯人を逮捕することを挨傘(アイダ)といい、これは法律用語として用いる。また拷問や刑罰の法として拶指(サッシ)という指責めの仕方がある。挨拶という語は、古くは衆人が互いに前に出ることを争うて押し合う意であり、また禅家では一問一答して相手を試みることを「一挨一拶」といった。もとは相手を呵責する意であるが、のち社交的な儀礼をいう。本来の用義と甚だ異なるものとなっていると述べている。
これを見ると昔は、人が道で出会っても、お互いに相手を押し退けて進もうとして争っていたのだろう。文明の進化とともに挨拶をして道を譲り合うようになったということだろうか。
しかし日本人は、どんなに寒い日暮れ時でも、行列の後尾に次々と並んでバスを待って居るのに、中国人は列を作ることなく我先に乗り込もうとしたり、商品売り場でお目当ての商品を奪い合うなどの光景が見られるところを見ると、中国では今日なお原義通りの挨拶が用いられているのではと思われる。
ramtha / 2017年7月16日