毎年、十二月になると、新聞は年末特集記事が組まれるようだ。今年もそのようだが、近年、所謂(いわゆる)地球温暖化とは無関係なことなのか分からぬものの、今朝の毎日新聞は、「平成の主な災害」を記事にしている。
後世の良い参考になるかと考え、書きとどめることとする。
<平成三年>
六月三日 長崎県の雲仙・普賢岳で溶岩ドームから大規模な火砕流が発生。死者・行方不明者四三人。
<平成五年>
一月十五日 北海道釧路沖を震源とするマグニチード(M)七・五の地震。二人が死亡。
七月十二日 北海道南西沖を震源とするM七・八の地震。死者・行方不明者は二百三十人。<平成六年>
十月四日 北海道東方沖を震源とするM八・一の地震。北方領土で死者十一人。
十二月二八日 三陸沖でM七・五の地震。青森県は八戸市で震度六を記録三人が死亡。(三陸はるか沖地震)
<平成七年>
一月十七日 兵庫県・淡路島北部を震源とするM七・三の地震が発生。神戸市などで震度七を記録。死者六四三四人、負傷者四万人以上。家屋の前半回は二四万棟以上に上った。(阪神大震災)
<平成十二年>
三月三一日 北海道有珠山が二三年ぶりに噴火。噴煙は約二七〇〇mに達した。断続的に噴火を繰り返し、住民約一万七千人が避難。
七月八日 三宅島・雄山で噴火。その後も断続的に噴火が続き、三宅村は九月二日に全島民の島外避難指示を発令。
十月六日 鳥取県西部でM七・三の地震。約一八〇人が負傷。住宅の全半壊は約三五〇〇棟。
<平成十三年>
三月二四日 瀬戸内海・安芸灘を震源とするM六・七の地震。広島県、愛媛県を中心に死者二人、負傷者約七〇〇人。住宅の全半壊は三五〇〇棟以上。(芸予地震)
<平成十五年>
七月二六日 宮城県北部を震源とするM五・六、M六・四、M五・五の地震が相次いで発生。六七七人が負傷した。約五〇〇〇棟が住宅が全半壊。
九月二六日 北海道釧路沖でM八・〇、十勝沖でM七・一の地震が相次いで発生。釣り人二人が行方不明に。負傷者約八五〇人、住宅の全半壊約四八〇棟(十勝沖地震)
<平成十六年>
七月十二日 新潟、福島両県で豪雨(~一四日)。崖崩れや地滑りが多発し、一六人が死亡。住宅五〇〇〇棟以上が全半壊。(新潟・福島豪雨)
十月二十日 台風二三号が高知県に上陸。その後、近畿、中部、関東地方を通過した。豪雨による土砂災害が各地で起き。死者・行方不明者は九八人に、八〇〇〇棟以上の住宅が全半壊。
十月二三日 新潟県中越地方を震源とするM六・八の地震が発生。六八人が死亡し、約四八〇〇人が負傷。住宅の全半壊は一六〇〇〇棟以上。山間部の道路が各地で損壊し、多くの集落が一時孤立した。(新潟中越地震)
<平成十七年>
三月二〇日 福岡県西方沖を震源とするM七・〇の地震。死者一人、負傷者約一二〇〇人。住宅の全半壊約五〇〇棟。玄海島のほぼ全住民が島外に避難した。(福岡沖玄海地震)
<平成十九年>
三月二五日 石川県の能登半島沖を震源とするM六・九の地震。死者一人、負傷者約三五〇人、二四〇〇棟以上住宅が全半壊。
七月十六日 新潟県沖を震源とするM六・八の地震。死者十五人、負傷者約二三〇〇人。
<平成二十年>六月十四日 岩手県内陸南部を震源とするM七・二の地震。砂崩れなどによる死者・行方不明者二三人。(岩手・宮城内陸地震)
七月二四日 岩手県沿岸北部を震源とするM六・八の地震。死者一人、負傷者二一一人。
<平成二十一年>
七月一九日 九州北部・中国地方で豪雨(~二六日)。土石流などによる死者三五人、負傷者五九人。住宅の全半壊一五一棟、床上浸水二〇〇〇棟以上。
八月十一日 駿河湾を震源とするM六・五の地震。死者一人、負傷者三一九人。
<平成二十三年>
三月十一日 宮城県三陸沖を震源とするM九.六の地震が発生。10mを超える巨大大津波が東北地方沿岸部の各地を襲った。死者一九五三三人、行方不明者二五八五人、負傷者六〇〇〇人以上。住宅の全半壊は約四〇万棟。東京電力福島第一原発で炉心溶融などが起こり放射性物質が放出された。(東日本大震災)
九月三日 紀伊半島で台風による豪雨(~四日)。和歌山、奈良、三重三県の死者・行方不明者は八八人。
<平成二十四年> 、
七月十一日 九州北部で豪雨(~一四日)。土石流や地滑りなどによる死者・行方不明者は三二人。住宅一八〇〇棟以上が全半壊。三〇〇〇棟以上で床上浸水。
<平成二十五年>
十月十六日 台風二六号による豪雨の影響で、東京都大島町(伊豆大島)で土石流が発生。死者・行方不明者は三九人。
<平成二十六年>
八月二十日 猛烈な降雨の影響で、広島市で土石流などが発生。七七人が死亡し、住宅など約四〇〇〇棟が全半壊した(広島土砂災害)
九月二七日 長野・岐阜両県にまたがる御嶽山が噴火。行楽シーズンの週末に発生したため多数の登山客が巻き込まれ、五八人が死亡、五人が行方不明に。六九人が負傷した。
<平成二十八年>
四月十四日 熊本地方を震源とするM七・三の地震が起き、これが本震とされた。二四〇人以上が死亡、二七〇〇人以上が負傷した。四万棟以上の住宅が全半壊した。(熊本地震)
この数字を分類別に集計してみると、次のようになる。
平成以後の天災地変二九回の内訳は。
一、地震十八・噴火四・台風三・豪雨四。
地震の地域別集計は、釧路沖など北海道四こ二陸沖五・日本海側四・瀬戸内海二・東海道一・熊本一
地震の震度別では、M9以上一・M8・5以上○・M8・O以上二・M7・5以上五・M7・O以上四・M6・5以上三・M6・O以下三。となっている。
なお、火山の噴火は普賢岳など四、台風による被害は三、豪雨による被害は四となっている。
二、また、噴火の地域別では、北海道(有珠山)・岐阜県(御嶽山)・東京都三宅島・長崎県(普賢岳)
台風の通路は、九州から関東地方へのコースとなっている。
豪雨の被害は九州北部、新潟県、広島県となっている。
これらの資料をみると、次のようなことに気がつき、また、思い出したりした。
①地震の多いことは狭い日本全国、変わりは無いが、それでも、首都圏に居た頃は震度3くらいの地震はしばしば体感させられたが、飯塚市では昔も今も全くといっていいほど、地震を感じることは少ない。
傾向として日本海側で多く、太平洋側では少ないように思われるが、どうだろう。
②昔の台風は、九州から北東へ日本列島を駆け抜けて行くコースが多かったが、最近、九州は台風の通り道から外れることが多いように感じるが、どうしてだろう。
③まだ、家庭にテレビも無かった昭和初期のことは、記憶も定かでないが、こんなに天災地変があっただろうか。
都会の洪水による被害は、地面を隈無く舗装して、地面の吸水能力を無くした結果で、人災というべきだろうが、それにしても、こんなには災害は無かったように思われる。どうだろう。
④昔、麻生産業で実習していた時、地下の狹いところで寝そべって石炭を採掘する苦労は、並大抵のことではなかったが、もしも地震が来たら逃げようもないと思ったものである。その時、筑豊地方や茨城県水戸市の磐城炭田など、日本有数の石炭埋蔵地域は、不思議なことに、地震が来たことが無いと、聞かされたことがあった。
⑤なお、戦後間も無くの頃は、まだキャップランプも珍しく、多くの採炭夫は、カンテラを頼りに仕事をしていたが、油代が足りないから今日は「ノソン」するかと言う坑夫に金を立て替えてやったこともあったっけ。
そういえば、すっかり忘れていたが。無断欠勤を意味する「ノソン」という言葉があった。
あれは何語だろう。戦後も、しばらく働いていた韓国人坑夫が、現場監督を「両班=ヤンバン」と呼んでいたのと同じように、彼らの言葉だったのだろうか。教えて貰いたいと思っても、その当時のことを知る人はもう居ない。
ramtha / 2018年3月31日