筋筋膜性疼痛症候群・トリガーポイント施術 ラムサグループ

痛みについて

 私たちは一般に痛みがあると言うことは、身体のどこかにキズがあるか、構造的な異常があると考えています。また、痛みの強さはキズや構造的な異常の程度に比例していると考えています。

ところが実際は、身体にキズや構造的な異常が無くても痛みを発することがあり、また、痛みの強さはキズや構造的な異常に比例しないのです。

【フロイド・E・ブルームの研究】
 
 痛みの知覚は、脳の科学の他のほとんどの領域と同様に、複雑です。痛みの知覚は一人一人異なりますし、同じ人でも、時とともに異なります。痛みに対する感受性はおそらく、一方の極では痛みをまったく感じない人から、他方の極では、ほんのちょっとした摩擦に対しても、ひどい痛みを経験する人まで、広い範囲に散らばっています。

しかし、生理学的な違いを離れて、ある人が痛みを経験する仕方は、その人が文化、親戚、家庭の環境から何を学んだかといった過去の経験に依存しています。
それは、その人が、痛みを引き起こす出来事をどのように位置づけるかという意味に依存しているのです。また、それは、注意の度合とか、不安といった、その時々の心理学的要因によっても異なってきます。文化的学習や社会性の獲得は、明らかに、人の痛みの知覚を形作っています。

□ 痛みの二面性・・・感覚としての痛み・情動としての痛み

 痛みには「痛い」という感覚の側面と、情動の側面があります。情動の側面は痛みに伴う不快感、不安、苦しみ、恐怖などをさしています。痛みをもつ人が医療機関などを受診するのは、このような情動の側面があるからであると言っても言い過ぎではありません。例えば指圧などの治療で「痛い」ところを刺激されると「痛い」けれども「気持ち良い」のです。ところが、腰の痛みが何週間も続くような場合は、「この痛みはなんだ。このまま痛みが無くならないのではないか」「場合によっては歩けなくなるのではないか」等と不安や恐怖感を抱くと、「つらい痛み」になるのです。これが「感覚としての痛み」と「情動としての痛み」の違いです。

 フロイド・E・ブルームの研究にあるように,私たちは成長の過程で痛みと出逢い経験し、その時に発生する情動と共に記憶されます。従って、痛みをどのように感じるかは、障害の程度に比例せず、その人の意味づけによって異なるのです。

このように「痛み」は心理的な要因を含んでいる為、構造的なアプローチだけ無く、心理的なアプローチを必要とされています。長年、慢性の痛みで困っている方は、心の面からのアプローチを試みて下さい。

 参考書籍:夏樹静子著「椅子が怖い」「心療内科を訪ねて」         
      ジョン・E・サーノ著「ヒーリング・バック・ペイン」
                「心はなぜ腰痛を選ぶのか」
      長谷川淳史著「腰痛は怒りである」    
      A・アドラー著「人はなぜ神経症になるのか」

ramtha / 2005年12月31日