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「八、軍人勅諭」

内務班では就寝前に夜の点呼があったが、その折、軍人勅諭の奉唱が行われた。
軍人勅諭は軍人の心得を諭したもので、明治十五年に明治天皇から陸海軍軍人に与えられたと言うことだが、それは前文から始まり、忠節、武勇、信義、礼節、質素の五つの徳目にわたる長文のものである。
当時の軍隊では、一兵卒に至るまで、これを暗記することが求められていた。
戦時中のこととて、大半の者が入隊前に既に暗記していたようだが、生来ずぼらな上に暗記の苦手な私は、不心得にも暗記することなく入隊していた。だから毎晩行われる軍人勅諭の奉唱にはホトホト苦労した。
全員で奉唱するときは、声を出さず、それらしく口だけを動かしてごまかしていたが、時に班長が名指しして暗唱させるときなど、ヒヤヒヤしながら自分が指名されないようにひたすら祈っていた。
そんなことだから、入隊後慌てて暗記するように努力したが、幸いにして暗唱できるようになるまで、指名される事はなかった。
しかし、日本陸軍というのは、どうしてなんでも暗記することを兵隊に強制したのだろう。軍人勅諭をはじめ歩兵操典など暗記すべき事は数々あったが、昭和十六年東条陸相から出された戦陣訓というものまで暗唱させられたのにはホトホト往生したことであった。
なんとか懸命の努力でやっと暗記した軍人勅諭も、いまではすっかり忘れてしまった。
軍人勅諭にしろ、戦陣訓にしろ、文語体のおそろしく難解な文章ではあったが、その内容は立派な軍人としての心得を教えるものであった。しかし、それは内務班で暗唱させられることはあっても、日常生活の上に実践されているとは思われなかった。

(注)操典=教練の制式、戦闘原則および法則を規定した教則の書。
(注)戦陣訓=昭和十六年東條陸相の名で全陸軍に下された、戦時下における将兵の心得。

ramtha / 2015年6月20日